タイエーからのお知らせ

タイエー『北海道バターメロンパン』

タイエー『北海道バターメロンパン』

タイエーベーカリーブランシェ部門では毎日40アイテム以上のパンを製造している。北海道バターメロンパンは全アイテムの中で一番製造数が多く、平日だと40個週末には70個以上製造しています。 北海道バターメロンパンの特徴は、豊富町の北海道バターを使用しており、その名の通りメロンの形をしていて、食べるとフワッとサクサクして老若男女問わず根室市内お客様はもちろん地方からもお買い求めにお越しになる人気商品となっております。 昭和6年創業のタイエーは、根室市内 に4店舗展開するコンビニエンスストア。タイエー西浜店は平成10年4月にオープン。店内製造できるようベーカリー部門を新展開。 数年が経ち手作りを強化方針のもと菓子パンや惣菜パンに力をいていく。そこで、ハセガワストアにノウハウをご指導して頂き、現在の北海道バターメロンパンが出来上がった。今では、少しずつお客様にも美味しいと口コミが広まり、ブランシェ部門人気№1の商品になりました。根室市ふるさと納税は全国でも常にランキング上位に入る人気の地域なのはご存知でしょうか?実は、タイエーの北海道バターメロンパンは、ふるさと納税にも掲載しています。常連のお客様から『タイエーのメロンパンは掲載しないのですか?』『美味しいから全国の人たちにも食べてもらいたいですね』 と言っていただいた。冷凍でも発送できるのか、すぐにチャレンジしたところ、美味しく食べることができたことから、根室市ふるさと納税では唯一菓子パンを掲載しております。今では、東京・大阪・九州など全国各地から注文も頂き、リピーターになってくれいる寄付者の方もいる現状です。 ※常温品と冷凍品は一緒には梱包できませんのでご了承くださいませ。本商品はご注文いただいた後から製造しますので、発送までに数日を要する場合がございます

タイエー『北海道バターメロンパン』

タイエーベーカリーブランシェ部門では毎日40アイテム以上のパンを製造している。北海道バターメロンパンは全アイテムの中で一番製造数が多く、平日だと40個週末には70個以上製造しています。 北海道バターメロンパンの特徴は、豊富町の北海道バターを使用しており、その名の通りメロンの形をしていて、食べるとフワッとサクサクして老若男女問わず根室市内お客様はもちろん地方からもお買い求めにお越しになる人気商品となっております。 昭和6年創業のタイエーは、根室市内 に4店舗展開するコンビニエンスストア。タイエー西浜店は平成10年4月にオープン。店内製造できるようベーカリー部門を新展開。 数年が経ち手作りを強化方針のもと菓子パンや惣菜パンに力をいていく。そこで、ハセガワストアにノウハウをご指導して頂き、現在の北海道バターメロンパンが出来上がった。今では、少しずつお客様にも美味しいと口コミが広まり、ブランシェ部門人気№1の商品になりました。根室市ふるさと納税は全国でも常にランキング上位に入る人気の地域なのはご存知でしょうか?実は、タイエーの北海道バターメロンパンは、ふるさと納税にも掲載しています。常連のお客様から『タイエーのメロンパンは掲載しないのですか?』『美味しいから全国の人たちにも食べてもらいたいですね』 と言っていただいた。冷凍でも発送できるのか、すぐにチャレンジしたところ、美味しく食べることができたことから、根室市ふるさと納税では唯一菓子パンを掲載しております。今では、東京・大阪・九州など全国各地から注文も頂き、リピーターになってくれいる寄付者の方もいる現状です。 ※常温品と冷凍品は一緒には梱包できませんのでご了承くださいませ。本商品はご注文いただいた後から製造しますので、発送までに数日を要する場合がございます

タイエーの歴史について

タイエーの歴史について

【タイエーの歴史】 2023年2月28日放送『マツコの知らない世界』の「ご当地コンビニの世界」にてタイエーを紹介していただきました。 沢山の反響がある中で、何故、ハセガワストアの『元祖やきとり弁当』が根室にあるの?って思った方も多かったと思います。 ここで、タイエーの歴史を紹介させて頂ければと思いますしたい。 昭和6年に先代の田家喜代松が根室市千島町に小さな食料品店(現在のタイエー千島本店)を構えたことから商売が始まりました。 昭和49年に2代目の田家定美が家業を継ぎ、株式会社田家商店として法人化されました。 当時は船舶の食料品も多く手掛けておりました。現在では件数は減りましたが、秋刀魚船の食料品の積込みも続けております。 昭和62年、函館に焼き鳥を焼いている面白いコンビニがあると聞いていた当時27歳(3代目)の社長は、友人の結婚式で訪れた函館で、若気の至で常識はずれの行動をする。結婚式が終わった夜9時にハセガワストアに電話をかけてお店を見せて欲しいとお願いをする。 その行動に応えてくれたのが、長谷川会長であり、見ず知らずの若者に、お店を案内して頂いた後なんと、夜中の3時まで延々と商売について教えて頂いた。本当にコンビニをやるのであれば、修行においでとなる。 当時根室には24時間のコンビニがない時代、これからはコンビニの時代がくると考えていた社長は、運命を感じ、長谷川会長に修業のお願いをすることとなる。3ヶ月と短い期間ではあったが、コンビニの経営についてのノウハウや元祖やきとり弁当について勉強させて頂くことになる。 長谷川会長の出会いがなければ、今のタイエーは無かったですし、今こうして何とか商売を継続していられるのは、会長に教わった数々の人としての在り方や商売の原点、そして看板商品の『やきとり弁当』という巨大な名物のお陰と感謝している。 この度のマツコの知らない世界においても、ご当地コンビニとしてタイエーを取り上げたいとのお申し出に、ハセガワストアの許可を頂いての放送となっております。 修業を終えて、昭和63年9月にFOOD STORE 田家としてミニスーパー形態にて新装開店し、根室に『やきとり弁当』を販売する許可をいただき、根室にやきとり弁当が誕生しました。 根室出身の人はFOOD STORE田家を懐かしいと思う人もいるのではないでしょうか? 平成元年12月に根室初の24時間コンビニエンスストアとして第1号店のタイエー曙店を開店 その際、函館ハセガワストアのエリアフランチャイズとして展開する運びとなりました。 その後「清隆店」、「昭和店」、「西浜店」と店舗を増やしていき「千島本店」をコンビニ転換しました。(後に「清隆店」、「昭和店」は閉店し、現在は千島本店、曙店、西浜店、市役所売店の4店舗営業) 現在も函館ハセガワストアのエリアフランチャイズのタイエーとなっております。 田家商店としては92年、コンビニのタイエーとしては34年経ち、お客様に支えられて現在のタイエーに至ります。

タイエーの歴史について

【タイエーの歴史】 2023年2月28日放送『マツコの知らない世界』の「ご当地コンビニの世界」にてタイエーを紹介していただきました。 沢山の反響がある中で、何故、ハセガワストアの『元祖やきとり弁当』が根室にあるの?って思った方も多かったと思います。 ここで、タイエーの歴史を紹介させて頂ければと思いますしたい。 昭和6年に先代の田家喜代松が根室市千島町に小さな食料品店(現在のタイエー千島本店)を構えたことから商売が始まりました。 昭和49年に2代目の田家定美が家業を継ぎ、株式会社田家商店として法人化されました。 当時は船舶の食料品も多く手掛けておりました。現在では件数は減りましたが、秋刀魚船の食料品の積込みも続けております。 昭和62年、函館に焼き鳥を焼いている面白いコンビニがあると聞いていた当時27歳(3代目)の社長は、友人の結婚式で訪れた函館で、若気の至で常識はずれの行動をする。結婚式が終わった夜9時にハセガワストアに電話をかけてお店を見せて欲しいとお願いをする。 その行動に応えてくれたのが、長谷川会長であり、見ず知らずの若者に、お店を案内して頂いた後なんと、夜中の3時まで延々と商売について教えて頂いた。本当にコンビニをやるのであれば、修行においでとなる。 当時根室には24時間のコンビニがない時代、これからはコンビニの時代がくると考えていた社長は、運命を感じ、長谷川会長に修業のお願いをすることとなる。3ヶ月と短い期間ではあったが、コンビニの経営についてのノウハウや元祖やきとり弁当について勉強させて頂くことになる。 長谷川会長の出会いがなければ、今のタイエーは無かったですし、今こうして何とか商売を継続していられるのは、会長に教わった数々の人としての在り方や商売の原点、そして看板商品の『やきとり弁当』という巨大な名物のお陰と感謝している。 この度のマツコの知らない世界においても、ご当地コンビニとしてタイエーを取り上げたいとのお申し出に、ハセガワストアの許可を頂いての放送となっております。 修業を終えて、昭和63年9月にFOOD STORE 田家としてミニスーパー形態にて新装開店し、根室に『やきとり弁当』を販売する許可をいただき、根室にやきとり弁当が誕生しました。 根室出身の人はFOOD STORE田家を懐かしいと思う人もいるのではないでしょうか? 平成元年12月に根室初の24時間コンビニエンスストアとして第1号店のタイエー曙店を開店 その際、函館ハセガワストアのエリアフランチャイズとして展開する運びとなりました。 その後「清隆店」、「昭和店」、「西浜店」と店舗を増やしていき「千島本店」をコンビニ転換しました。(後に「清隆店」、「昭和店」は閉店し、現在は千島本店、曙店、西浜店、市役所売店の4店舗営業) 現在も函館ハセガワストアのエリアフランチャイズのタイエーとなっております。 田家商店としては92年、コンビニのタイエーとしては34年経ち、お客様に支えられて現在のタイエーに至ります。

さんま節ラーメンの誕生について

さんま節ラーメンの誕生について

株式会社タイエー 当店のお土産NO.1商品 根室さんま節ラーメンの概要 さんま節ラーメンは2003年に『さんま祭り』を盛り上げるグルメとして根室の一大イベントで誕生した。秋刀魚の水揚げ量が日本一の根室ですが、近年はジャミ秋刀魚と言われる小さい秋刀魚が市場にも沢山あがっている状況ですが、当時の秋刀魚は魚体も大きく小さい秋刀魚は使い道に困っている状況でありました。その中で、漁業関係者の方からジャミ秋刀魚の使い道はないかという話をさんま祭りの実行委員長である弊社の社長がお話を受け、さんま節の開発に至り、さんま節ラーメンが誕生しました。 『根室さんま祭り』では、さんま節ラーメンの評判がよく1年に一回しか食べられないのはもったいないということで、初めに袋麺が誕生しました。 さんま節は一度に製造できるのが5㎏(5000食)分。焼いて油を落とし、さらに湯煎で油を落とし、ミンチにしてから乾燥させ、真空パックする。時間をかけてさんま節を製造しております。時間をかけて製造したさんま節ラーメン是非一度は食べて頂きたいです。 カップ麺に関しては、2019年により手軽にお客様に食べて頂きたいという思いから2019年に発売開始致しました。 【おすすめの食べ方】  必ず袋麺もカップ麺も具材をのせて食べて頂きたいです!  カップ麺はお湯を線より下に注ぐことが美味しくなるポイントです!    

さんま節ラーメンの誕生について

株式会社タイエー 当店のお土産NO.1商品 根室さんま節ラーメンの概要 さんま節ラーメンは2003年に『さんま祭り』を盛り上げるグルメとして根室の一大イベントで誕生した。秋刀魚の水揚げ量が日本一の根室ですが、近年はジャミ秋刀魚と言われる小さい秋刀魚が市場にも沢山あがっている状況ですが、当時の秋刀魚は魚体も大きく小さい秋刀魚は使い道に困っている状況でありました。その中で、漁業関係者の方からジャミ秋刀魚の使い道はないかという話をさんま祭りの実行委員長である弊社の社長がお話を受け、さんま節の開発に至り、さんま節ラーメンが誕生しました。 『根室さんま祭り』では、さんま節ラーメンの評判がよく1年に一回しか食べられないのはもったいないということで、初めに袋麺が誕生しました。 さんま節は一度に製造できるのが5㎏(5000食)分。焼いて油を落とし、さらに湯煎で油を落とし、ミンチにしてから乾燥させ、真空パックする。時間をかけてさんま節を製造しております。時間をかけて製造したさんま節ラーメン是非一度は食べて頂きたいです。 カップ麺に関しては、2019年により手軽にお客様に食べて頂きたいという思いから2019年に発売開始致しました。 【おすすめの食べ方】  必ず袋麺もカップ麺も具材をのせて食べて頂きたいです!  カップ麺はお湯を線より下に注ぐことが美味しくなるポイントです!